reblogが楽しいのは自分の情報フィルタの性能を実感できるからなのだろう。

参考:おれtumblr
http://nekoprotocol.tumblr.com/

reblog*1が最も楽しい瞬間というのは何か考えるに、これはもう自分のreblogを眺めるとき。これは間違いなくそうだと思う。
他の方のtumblrを巡回する。美少女の写真が目につく。水着はべつにいいや、巨乳もどうでもいい、あんまりエロいのもいやだな、お、このメガネはいいな、よしreblog。そんなことを繰り返した結果、出来上がった自分のtumblrログはまさに「自分の趣味がばっりばりに反映された結果」言い換えれば「自分の情報フィルタを通して情報がろ過され、精錬された結果」のカタマリなわけだ。
自分がどういう人間なのか、それを如実に物語るログを眺めるのはやっぱり楽しいっていう、ね。自分大好きっこだし。
そんでふと思い至る。同じだ。貧乏学生だったころ、かっこいい言い回しをノートに書き写したりしてたのと同じ。手元に本を置けなかったから、図書館の本から引用したり、新刊本から引用してはブックオフに売っぱらったり。
そしてあとで後悔するんだな。
引用部眺めているうちに、オリジナル再読したくなってしまっても既に手元にオリジナルはないっていう。
いずれreblogでも同じ想いすることになるかもだね。オリジナルが消えて読みたくても読めないあの悔しい想い。

*1:の意味を正しく理解していないかもだけれど