おれがアニメやイラストのパンチラに敬意を払えない理由

おれがアニメやイラストのパンチラに敬意を払えない理由といえばこれはもう一つしかなくて、そのパンチラが用意されたパンチラ、約束されたパンチラ*1だからだと思う。
アニメでどんな激しいアクションをしても、あるいはイラストがどんなにきわどい構図だとしても今現在パンツが見えないのであればそれは作者が意地悪か、商業主義に屈しなかったか、放送時間が深夜じゃないかのいずれかにすぎない。
見えてしかるべきシチュエーションにも関わらず偶然に偶然が重なってパンツが見えなかったなどということでなく、ただ単に描かれなかったから見えなかったということなわけだ。
翻ってもし当該パンツが見えたのだとすれば、状況がそれを許し作者が明示的にパンツを描いたからパンツが見えるのであって、それは見られるために描かれたパンツということでもある。ひらたく言えば見せパンである。見られてもかまわないパンツ。そんなもの女子高生がスカートの下にはくジャージといっしょだ。
そのようなパンツには布ほどの価値もない。
もし世界に真のパンチラというものがあるならば、それはパンツ装備者当人が見られたくないという気持ちをもっていてそれでも他者に見えてしまったとき、そう呼べるのだと思う。そのときはじめて「パンチラに成った」と言えるのだ。
そのようなパンチラにならおれは敬意を払えるだろう。
いや違う。
そのようなパンチラにしか敬意を払えない。
そう思う。



逆リンク:http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20071026/p1
だとすればもはや作者がパンチラを描く必要もなく、また彼女がミニスカートはかなくとも、おれが望めばパンチラを体験できるのだと思った。たとえば目をつぶれば、あの子のパンチラが見える……って、それいつもやってた。
あと「ぱんつはいてない」の発明以後、より角度とアングルが洗練されてゆくと最後にはすべての作品がJoJo立ちをすると思っています。

*1:プロミスド・パンチラ