アンパンマンの命の定義と物語に愛される命の定義
アンパンマン映画「いのちの星のドーリィ」のアンパンマンの死(と男性コーラス)に涙しながら、わかったことがある。
それはアンパンマンの命の所在と命の定義だ。
ご存知のとおり、アンパンマンは頭部を交換することで力を取り戻す。また頭を完全に失っても死なない。あるいは、別のパンを載せるとその性格をも変更できる。たとえばコーヒーパンマンになると性格が渋くなったりする。*1
このことから、アンパンマンの命は頭ではなくボディにあり、また頭部は「エネルギー源」かつ、「性格」を管轄していると言える。
エネルギーユニットとコミュニケーションインタフェイス(性格・表情)をひとつの部位「頭部」に集約することのメリットは不明だ。ただこのことからわかるのは、すくなくとも作者は命と性格および生命活動するためのエネルギー源は分離可能と考えていること、だろう。
もうひとつ。
この映画ではドーリィが自らの命をアンパンマンに譲渡する。そう。アンパンマンでは命は抽出可能ということだ。
命が譲渡可能となれば、再生後のアンパンマンと死んだアンパンマンとの同一性を保持するために、性格は頭部に、命はボディにとそれぞれ別ユニットにするという設計思想*2はアリだろう。*3
いずれにせよ、アンパンマンの命はボディにあり、またその命は抽出可能・譲渡可能な物体、あるいは現象ということなのだ。
そこで考える。
実際、命は抽出が可能なのだろうか? 譲渡が可能なのだろうか?
ベイリーの「ロボットの魂」やソウヤーの「ターミナル・エクスペリメント」、カードのエンダーシリーズあたりでも似たテーマがあった気がするが、どうなのだろう。
おれ自身は「命は抽出不可能」だと考えていたのだけれども、ただこのドーリィやあるいはさまざまな作品の命の描き方から見えてくるのは、つまり「命は抽出可能であるほうが、物語にしやすい」ということ。
物語をドラマチックにしやすいということなのだろう。
なるほど、物語に愛される《命》とは、抽出可能、譲渡可能な《命》なのである。
っていうのはどう?
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