童話「ねずみのよめいり」で誰が一番不憫か。

童話「ねずみのよめいり」で誰が一番不憫かといったらねずみの娘、と答えたいところだがふと考える。
なるほど父親が結婚相手を見繕うのは確かに不憫だろう。でもそれは時代がそうだったからで彼女だけの話ではない。
あるいは、すべての結婚申込相手、太陽、雲、風、壁に体よくあしらわれる様は不憫と言えるだろう。
「いやいや私なんか」と下手にへりくだる恒星や自然現象どもときたらとんだ策士である。
であれば、ふむ。ねずみの娘は不憫だったのだ。
だがいまひとつひっかかる。
なんだか話がうますぎるのだ。物語の骨子をなす、ねずみ最強へ連なる強者のロジック。強さインフレーションが、太陽系最強のエネルギー体からスタートしてわずか4Hopsでねずみにたどりつくというのはどう考えてもおかしい。
そしてはたと気づく。
あいつらグルだったんじゃないか?
太陽も、雲も、風も、壁も。
その裏で糸を引いているのは……娘。
さも父親に最強の結婚相手を選ばせたかのように思わせつつ、結局は娘自身の意中の相手を父親に選ばせる。
心理誘導。
汚い。汚すぎる。
……なるほど、娘とその仲間らは時代の制度を出し抜いた点ではすばらしいだろう。しかし、そこには一匹の老ねずみの心をもてあそんだという事実もまた存在する。
そう。
この物語でもっとも不憫なのは、ねずみの父親だったのである。