「今度のビエラは動きに強い」に傲慢さを感じる。

「今度のビエラは動きに強い」はなんか傲慢だなぁと思ってしまうのでそれはなぜかと心の中の《言ってないことを読み取るマン》に問うたらば、暗に「いままでのビエラは動きに弱い」と言ってるからなんじゃねーのと教えてくれた。新ビエラは旧ビエラを経て新ビエラになったくせに、旧ビエラを否定しているカンジが傲慢に感じちゃうんだよぜよ、と言っていた。
そしてこれと似た感情を昔体験したことがある、と思って記憶の糸をたぐりよせまくると「カエラはメールし放題」が心に思い浮かんだ。そう、当時はメールで金を取るビジネスモデル自体がどうかと思っていたおれですから、まわりがメール有料な状況をちょびっとだけ出し抜いてたかだかメールを0円サービスにして「メールし放題」とか謳っちゃうってどんだけエラそうなんだよ、傲慢なんだよ、と思ったのだった。
この傲慢さという点において「今度のビエラは動きに強い」と「カエラはメールし放題」は同じ匂いがすると思った。なんだか似てるんだ。
傲慢てとこ以外にこの二つのコピー、類似点ないのにね。ないない。