NHKのプラダの靴・まっかなポルシェ問題に思う。

NHKプラダの靴・まっかなポルシェ置換問題、あるいはMMOやコミュニケーションゲーム、若年層向けインターネットにおける卑猥語⇒空白文字置換機能。目的はそれぞれ異なるとはいえ、いずれもその本質、隠す行為の本質は情報を殺す行為ということだ。公共放送の都合、あるいはコミュニティスペースの秩序維持というお題目があることはわかるが、情報を殺していることに違いはない。
情報殺戮者たちにはまずそこを認識して欲しいというのが、私からの切なる願いであるが、願わくば情報のマスキング行為・フィルタリング行為すべてをやめてほしいとも思う。なぜならそれらの「隠す行為」というのは彼らの意図に反して全くの無意味だからだ。
「隠す行為」によって、確かに伝えたくない情報自体は隠せるだろう。
だが、その隠すという行為そのものが、その背後に価値あるものが隠れているということを如実に物語ってしまっているのである。それゆえに彼らの隠したい・なかったことにしたいという目的は達成されない。衆目はその隠された場所に余計に注目してしまうからだ。女性のパンツと同じである。