満たされないことを活動の原動力にしてはいけない。

満たされないこと、例えば貧困・空腹・渇望を創作の原動力に認定してしまうと、悲惨な結末しか待っていないのではないのか?
つまり貧困を抜け出すために書き、空腹を満たすために書き、いつしか売れてしまい原動力が失われてしまう。苦しんで書いたものほどすばらしく、あとはそれを越えられずに産めぬ苦しみにまみれて死ぬ。
同じことが非モテにもふりかかる。非モテをネタにするブログ・モテたいを連呼するブログがいつかモテてしまったときにまったく同じ問題にぶつかる。結末は一つ。「あいつは非モテ時代のほうが面白かった」 そして非モテは死にモテに転生するが、ブロガーとしての彼/彼女は死んだままよみがえらない。
非モテでブログをスタートするとはそういうことだ。非モテ設定のブロガーにはブロガーとしてつらい結末しか待っていないのである。あとモテたい。