ネットは、キレイになるようにできている。

ネットのギロンを見てますと、すごくかっこよくてキレイな正論を言う方というのがいてまして、ギャラリーとしてみてるとなるほどってなるだけですむけど、やりこめられる当事者になったらそれどころじゃないんだろうなと思う。
そんでやりこめられている方がせっぱつまってきて「正論だけど、そんなことリアルでも言えるんかよ!」と捨てゼリフを吐いてしまうことがあって、それに対する回答は「あたりまえじゃん。リアルもネットも関係ないよ」というパターンと、「は? いまそんな話してないよ。それにリアルとネットじゃ条件が違うし。ネットでくらい正しくあってもいいんじゃね?」というパターンの二種類が見受けられて、結局どっちにころんでもネットには正論があふれてキレイになっていくのじゃないかしらと思った。
個人こじんが、ちょっとぐらいキタナくてもいいと思っていても全体としてはわりとキレイ方面に収束してしまうのはなんというかネットの意思みたいなものを感じる。ネットがイキモノみたいで若干カッコイイ。正論=白血球てき。
そんでキレイなネットに接続しているうちにどのユーザの脳もだんだんとキレイ側に飲み込まれ、非ネット時にも周囲にキレイが漏れ出ていっていつしか人類全体がキレイになってしまうのじゃないかしら。
そんな世界はコワイとかキモイとかいわれがちだけれども、キレイに侵食されてしまえばコワイともキモイとも思わなくなるはずなので、おれはただここに座してそのときを待つのであった。