納豆とあるあるのはなし。

そもそもあるあるという番組をよく知らないのだが、番組タイトルを見てなんとなく問題が見えた気がする。つまり「あるある」という言葉を発する主体は誰なのか、ということである。この主体を取り違えると番組クレームにつながるのではないか、ということである。
では「あるある」とは誰が言っているのか? 番組司会が「(これはよくあることですという意味で)あるある!」と言っているのか? あるいは例えばクイズ番組のモブが発する「あるあるあるある!」というコールに似たニュアンス(ニュアンス!)なのか? かれらの「そうあれかし!」という願いのこもった「あるある!」と同義なのか?
違う。
『番組を見た視聴者が「(あー、それあるかもしんない)あるある!」と思っていただければ』という制作サイドの願望のみで「あるある」とつけられたにすぎない。実際の「ありやなしや」の判断は視聴者に委ねられているのだ。「あるある」という判断をしてもいいし、「あるあるねーよ」と判断してもいいのである。そこをカンチガイして「あるなし」の判断を番組にまかせると、不毛な怒りが発生するのである。
過ぎたことはしかたがない。番組への怒りなどそもそもなかったことにしたらいい。
もちろん。冷蔵庫を開けば、納豆の山は「在り」、納豆を買ったみなさんだけは「在る」のですが。