イギリスの鉄道擬人化と日本の鉄道擬人化

機関車トーマスは汽車だけでなく貨車にも意思がある。貨車たちはいつも汽車に引かれることを不服に思っている。結局は汽車に引かれる運命なのだが、かれらのパワーバランスの結果、列車活動が表面に立ち現れるのである。列車活動を社会や会社組織の縮図に見立てているのだろう。これがイギリス的鉄道観なのかもしれない。
翻って、日本の鉄道擬人化は先頭車両を顔や服装に見立てて一体の個体のように扱う。牽引する貨車の増減にかかわらず一人の人間として扱うのは、貨車を新陳代謝する細胞、個体のなかの交換可能なパーツとして扱うという鉄道観の表れなのだろう。
この差から、イギリスの擬人化のほうが社会を反映したオトナの見方だとか、日本の擬人化のほうが擬人化の定義に沿っているなどと議論するつもりはなく、おれから言えるのはただ一つ。トーマスの顔ってキモいよなぁ。