桜の木の下には死体がという梶井基次郎の言葉におれたちはいつも踊らされすぎている。

おれたちはいつも、桜の花が美しいのは木の下に死体が埋まっているからだという梶井基次郎の言葉に踊らされすぎていて、つい調子にのってアレンジメントしてみたりなんかしちゃったりして、
「きのもとさくら。おまえの美しさはおまえが屠ってきた死体の山の上に成り立っている」
「ち、ちがう! この美しさは生来のものよっ」
ヤツの言葉におびえ、あとずさるさくら。
右足が何か柔らかいものを踏む。
ぎゃーーーー!
とか言ってみたり、
さくら水産の美味さは、サカナの死体の上に成り立っている」
「切り身を死体と言うな」
「じゃあてめぇ切り裂きジャックの犠牲者を切り身と呼ぶかよ」
「それはバラバラ死体」
とか言ってみたり、
「サクラバードキックってネーミングいいよねぇ」
「そうだねぇ」
「そうでしょう?」
「ですねぇ」
「春だねぇ」
とか言ってみたりもするのだが、それはさておきおれはさくら水産に行ったときがない。美味いかそうでないか知らない。