神がなんで死んだかやっとわかった。

例えば明治・大正時代のころは日常に怪奇現象が溢れていた。昭和になっても、昔であれば口さけ女や人面魚の住処もあり、彼らの居場所もせばめられれば今度はTV越しで接することの出来る場所に居を移し、UFOやミステリーサークルやスカイフィッシュになって生き延びた。
今じゃ、世界中の出来事を時差なく知ることができ、しかも情報源複数あるせいで《正しさ補正》がかかり、まさしく《瞬時に世界の真実を知る》ことができてしまう。そういう方向に世界は突き進んでいる。
そんで思ったのは、ああ、それって神の能力そのものじゃん、ということである。全知ってそういう意味じゃん? 怪奇も不思議もない、もうなんでもわかっちゃう存在、それが神。そして人類は神になろうと科学を推し進めているのである。なんとも退屈なことである。なんで神が死んだかって言ったら、これはもう退屈すぎて死んだのは明白なのにだ。
逆に、退屈ごときで神は死なない、退屈を退屈とも思わないのが神であるっていうんなら、おれそんな神いらないなぁ。