キャベ2とドラクエ2は本質的に違う。

最近よく考えるのだがキャベ2とドラクエ2は本質的に違うのではないかということだ。
人はドラクエ2を見たとき、ああ「2ということは1があるのだな」と考える。「順序」という思考フレームからドラクエ1の存在を導き出すわけだ。だがキャベ2ではどうか? 人はキャベ2を見たとき「キャベ2があるからキャベ1がある」と考えるよりも先に「ダジャレかよ!」とツッコむ。「ダジャレ」という思考フレームで処理されるのだ。
このことから、「ダジャレ」のほうが「順序」などよりも思考フレームとしての強度が強いのではないか、そしてそのことが思考力の衰えたおっさんをして「オヤジギャグ」という《思考の低き流れ》にその身を委ねさせてしまうのではないかなどと思索をめぐらせているのだが、さっきから考えがまとまらないのはおれの脳裏にキャベツ太郎が浮かんでは消え、浮かんでは消えしているからなのである。
やっぱ太郎があるなら次郎、三郎もあるん?