なぜあの猫は長靴を履いたのか?

近頃よく考えるのは、なぜ長靴を履いた猫は長靴を履いたのかということで、でもだってあの物語に長靴の必然性まるっきりない。でも履いてる。なぜか履いてる。いやいやまてまて、おれが気付いてないだけで実は必然性あるんじゃないのか? どうか? などとぐるぐる考えているうちになんとなく見えてきたのだけど、つまりは物語の必然から猫が長靴を履いたのではなく、むしろ「猫が長靴を履いている姿そのものの魅力」を後世の人間に伝えたかったのではないか?
例えばこういうことだ。ここにブーツ+ニーソックス+ミニスカートの美少女がいたとする。大変な美少女でございます。と、そこにネコミミカチューシャが天から舞い降りてその頭に蒸着したらどうなるか考えなさいと言っているわけです、作者は。ブーツ+ネコミミ、これはもうすばらしいことになるのではないか、まさにその組み合わせの妙をこの物語から読み取ってほしいのだ、と。「我輩は長靴を履いたネコミミであるゾ」なんて、いたずらっぽい目をしながら、上目遣いあかんべしてる美少女を想像しろ、と。
うん。なんだかグリム兄弟に妙な親近感沸いてきた。


追記:ぎゃー!

screammachine ペローだよ。

ギャー。ありがとうございますありがとうございます。グリムじゃないって。ここはウソだらけのブログです、みなさんキヲツケテ!