ラノベのキャラ立ちの必然性ってば。

新城カズマライトノベル「超」入門」の「キャラ立ちはゲーム源流」説、「たとえばマルチエンディングゲーなんかでは、キャラ立ってないとダメなんすよ」みたいなお話はなるほど納得とか思ったのですけど、あと新城カズマさんの本には書かれてなかったかもけど「キャラ立ちはラノベの発刊速度をあげるための必然だったのだ」説もあってもいいなと思った。
よく小説家なんかが「登場人物が勝手に動き出して物語がどんどん進む」なんて言います。このノリノリの状態で書かれた登場人物たちは読者から見て「キャラが立ってる」て言われる状態なのかもーなんて妄想するけどそれはともかく、キャラが勝手に動いて、言動がキャラとしてもっともらしくなったりなんかして、正義感が強い戦士だからここで弱者をかばうはずとか、ツンデレいいんちょだからホームルームではツンツンしてるはずとか、飛影はそんなこといわないとか、そーゆー「キャラの動きのフォーマット」が作者の中で定まるとライティングのスピードもあがるんじゃないのかと。
ラノベは発刊速度が速いことが人気を保持する要素のひとつでもあるらしいので、その速度を維持するためにもラノベっていう分野が「キャラ」ってライティング技法を手にしたのかなーとか思った。
あとそしたらこのキャラ法ってブログでも利用できるんじゃないかな。キャラを立てて、高い更新頻度を維持するとかそうゆう。自分をエロキャラ設定してブログればすべての日常がエロ視点で料理され、常にネタに困らず、視点もぶれず、ステキにラクラクブログライフが送れます! てきな。