小さい秋を見つけたい。

この時期になるとみなさんこぞって野に出て山に出て秋を見つけてはその小ささを競い合うことを日課にしていることかと思いますけれど、どんなにがんばっても小ささには物理的限界がある。いつか小さい秋も発見されつくし、もはや日本の秋にフロンティアと呼ばれる場所などない、この世に不思議なものなんて何もないなどと傲慢な態度を手に入れたあなた方現代日本人は、そのまま秋とゆうもののありがたみを忘れていくのだろう。秋のありがたみを忘れることは日本の美の一つを捨て去ることだと思う。
そんなの同じ日本人としてイヤだなぁ、小さい秋のありがたみを今一度思い起こさせたいなぁと思いまして、最近おれがもくろんでいるのは地軸をどうにかしたりオゾン層をこうにかしたりして、日本から秋をなくしちゃおうかな、と。そうやってエヴァンゲリオンの舞台みたいに一年中「夏の終わり」な季節をえんえん50年くらいすごしたある日、甚平姿のおれが庭にでて今年200個目のスイカをシャクシャク食べていると、どこからかかすかに鈴虫の声。50年ぶりに聞くすずしげな声音。とたん頬をつたう一筋の涙。遠い思い出の中だけにある「あの季節」の到来に、おれは、いやおれたちはその場で泣き崩れるだろう。小さい秋。みつけた。