家具論。
もしかしたら建築とか家具とか勉強してるヒトとかには常識なのかもだけれど、ついさっき、家具とかにまったく無知な俺と後輩で家具談義してたのでそのログ。
- 「テーブル」というものが神より人類に与えられ、これが家庭に取り入れられたとき、必然「テーブル」は「家族が集う場」として機能するようになった。
- 「食事を摂る」行為は人間が生命活動を行うのに必須であり、その食事という行為が執り行われる「テーブル」は結果毎日利用されるため、数ある家具のなかで、その地位をぐんぐん上げていき、人類に対し「テーブル=家庭」という意識獲得すらもたらした。
- 家という構造体内での人類の生命活動における重要なポストを獲得した「テーブル」。これをひっくり返すというのは、文字通り「生命活動そのもの」あるいは「家庭の秩序」をひっくり返すことであり、そこに生活する人類にとって重大な関心をひくことと言える。
- これに目をつけたのが父親という存在。父親は「テーブルをひっくりかえす」という家庭内の注意喚起方法を発見、嬉々として喜ぶ。
- その後、西洋、大陸文化においては「テーブル」は重厚長大化し、これをひっくり返せる父親という存在は、その威厳をウナギのぼらせまくっていった。
- 日本にテーブルが輸入された。
- だが非力な日本人には、おおきなテーブルはひっくりかえせない!!日本の父親、威厳まっさかさま、ねこまっしぐら。
- 父の威厳を保つため集った大工たち。日本建築の英知を結集して開発されたテーブル。
- それが、ちゃぶだい。
- 食事・家族の集いなどの目的至上合理主義に徹し、極限までディサイズされたテーブル。その姿はただ丸く、あくまでも丸く。家庭を丸くおさめたいという棟梁の願いが込められている、そう、それはちいさな祈り。
- 軽いちゃぶだいを手にいれた日本の父親、おおよろこび。ひっくり返しては戻し、ひっくり返しては戻しを繰り返す。
- その父親の喜びの様をカエルに似せて描いたのが「鳥獣戯画」。
- そもそも「さむらい」の語源って「ちゃぶだい」だろ?韻の構成がいっしょだし。
- ちゃぶだいは父親と密接な関係があるからこそ、「ゆるしてちゃぶだい」とゆう定型句が「親爺のギャグ」として呼ばれることになった。
などなどの議論をしてたよ。
得るものは何もなかったよ。