ネットの力を信じるのは別におかしかない。

その昔、パソ通だかNETNEWSに「好きな人がいるけど、相手にも他に好きなひとがいるかもしれない。不安だ。どうしよう」てきな質問があがった。そんで、確かそれへの回答が

次の2つの質問について自問自答してみてください。

  • どちらのほうが好きですか?
    • 彼のことを好きな自分
  • どちらのほうが幸せだと思いますか?
    • 彼の隣にいる自分
    • 彼の隣にいることを夢見る自分

といった感じのもので、質問者はこの回答に背中押されてソッコー好きな人に告白・成功。このエピソードをライブで目の当たりにして以来、どうもおれはネットの力を信じるようになってしまったのである。自分でも単純だとは思うけれども、でもそんなもんだ。多かれ少なかれ気まぐれであれ必然であれネットは人の悩みを解決したりもするんだ。
でもさ、そういうエピソード誰にでもあるんじゃない? みなさんそれぞれの心の琴線に触れた「ネットちょっといい話」の一つや二つが。
ネットの光の面と暗黒面とを比較したら暗黒面のほうが多いからって、一歩も二歩も三歩も身を引いてネトるっつーのは安全で正しいとは思うけれども、それはそれで疲れそうだなぁと思うのです。無用心にネトるってーのも、案外オツだななんて思ってるのですよ、最近。
ま。自分でも鴨ネギフラグ立ったなとおもってます。今なら壷も買えるはず(高価な壷をダマされて)。

「からだは大人。こころは子供」問題

先日ツイッタで「からだは大人。こころは子供」という発言をお見かけして、とたんにおれの全身に電撃が走ったのですけれども、つまりああつまり「からだは大人。こころは子供」や「手足は伸びきってもまだまだ子供」には当然のことながら心惹かれるおれたちが、いつのころからか「からだは子供。こころは大人」にも同じく心惹かれるようになってしまっているという事実に気付いたからでした。どちらもよい。すごく。
ただよくよく考えてみたところ「からだ大人/こころ子供」「からだ子供/こころ大人」のみならず、「からだは大人。こころも大人」もめっぽう好きだし、「からだは子供。こころも子供」ですらも法的なことを除けばむしろありではないかと思い至るおれでございまして、ああこういうのなんていえばいいのかなぁ? てなこと考えるに、うん、まあよく言って「守備範囲の広い人」、より正確には「ただの変態」ですね。