メガロオナニア - オナニーの三要素とその要素を破壊したあとに残るもの。

18世紀英国をにぎわした書物「オナニア」、その後ティソが著した「オナニスム」などの先達の遺産に敬意を表しておれもオナニーについてエントリを書こうと思ったので書くのだけれど、はてさて、なにはともあれオナニーである。
オナニーを構成する三要素といえば言わずと知れた、「ビート」「メロディー」「ハーモニー」だろう。オナニーはビートより出でて、ビートの先端からメロディーがにじみ出る。にじみ出たおれのメロディーと君のメロディー*1が出会い豊かなハーモニーを生む。
オナニーのジャンルにロックというものがあった。ロックとはつまり岩である。硬い岩を相手するのがハードロック、ふにゃふにゃした岩で行うのがソフトロックだったのだろう。浜辺の少年たちがペットに欲情したかどうかは定かではない。
あるいはハウスというものがあった。家で行うスタイルの総称であるこのオナニーのうち、その一部は、ハーモニーを捨て、メロディーを捨て、ビートだけが残った。ビートだけでオナニーは成立した。
あるいはミニマルがあった。ミニマルはビートを追求した。速度を追求した。要素をそぎ落とした。オナニーがオナニーとして成立する最小要素の限界をめざした。
あるいはアブストラクトがあった。そのビートは抽象を極め、字義通り空想的であることを模索した。ビートはもちろんあったが、抽象表現・空想表現からたちいずる何かこそが重要だった。
そしておれは草原に立つ。全裸で。
ハーモニーもメロディーもない。
両手をだらんとさせる。ビートもない。
あるのは脳の中の空想だけ。
草原の向こうから風がやってくる。
暖かい風が頬をなでる。
全身のうぶ毛一本一本が風に波打つ。
チンコを覆う茂みの隙間を縫うように風が吹き過ぎる。
そのときビートもなくオナニーが完成する。
完成したオナニーの先端から、メロディーが奔流となってほとばしる。
おれのメロディーと草原の風がハーモニーを奏でる。
そして気づく。





よくブログにオナニー文を書くのってよくないよって言われますけど、確かにそのとおりだなって。本エントリ(オナニーエントリ)を物してもむなしさだけが胸に残りましたもの。まるで一夜のオナニーと同じです。

*1:=マイメロディとユアメロディ