蛇尾川(16/100話)*1
栃木県北部に蛇尾川(さびがわ)という伏流川がある。
僕らが隣町のゲーセンに行くときは橋を渡らずに、決まって干上がった川底の砂利道を自転車押して歩いたものだった。
その砂利道の近くに、新幹線の橋脚がかかっていた。
橋の両脇の橋脚は四角ではなく巨大な楕円形のコンクリートのかたまりで、その袂でほんのときおりだけれども薄汚い乞食を見かけることがあった。
僕はそいつのことがちょっと怖かったのだけれど、一緒にいたワタナベは平気みたいだった。ときおり石を投げつけたりしていて、正義感からじゃなくただ怖いという理由で僕は「やめろよ」なんて言っていた。
ある日、いつもの砂利道の上を自転車押して歩いていると、あの乞食がちょうど橋脚から離れていくのが見えた。ワタナベが行ってみようぜといって僕の手を引く。
橋脚の足元には乞食の持ち物だろうさまざまなものがあった。
でかいラジオ、ブラウン管のない四脚テレビ、扉のない冷蔵庫、黄ばんだ小説本の山。
それらの背後、橋脚の根元部分に不自然に黒いビニールがかかっていた。
ワタナベが手をかける。ビニールをそっと持ち上げると、橋脚の根元に幅50cmくらいの穴があいていた。
二人で中を覗き込む。広い。
橋脚の真下が高さ70cmくらいの空洞になっている。今思えば、あれは欠陥橋脚だと言えるけど、当時の僕らにはそんなことわからなかった。
穴の中はほとんど闇だった。が、なんだろう。奥のほうに何かいろんなものがあるのが感じられた。ワタナベが中を見ようと上半身をねじ込む。
と突然、遠くから怒声が聞こえた。あの乞食が帰ってきたんだ!
僕はワタナベをひっぱりだし、とにかくそこから逃げた。自転車を押して川を上がり、道路に出るとたちこぎで必死に逃げた。乞食が追ってくる様子はなかったけれども、近所の公園にたどりつくまで僕はこわくてこわくてたまらなかった。
僕は言った。
「もうあそこ行くのやめようぜ」
するとワタナベがなんで? という顔をする。
「おまえあの穴みたか? 奥になんかあったろ?」
「あったけどさ。やばいって」
「あんな乞食、どうとでもなるって。行こうぜ」
「そうかもしれないけどやばいよ」
「そっか。じゃいいよおまえは来なくて。おれひとりで行くから」
次の土曜。僕は別の友達と遊んだ。夜、ワタナベんちのママから電話があった。受話器をおさえて母さんが聞く。ワタナベくんまだ家に帰ってないみたいなの。どこに行ったか知らない? 僕は知らないと答え、母さんは電話口で「知らないみたいなんですよ。ええ」と答えていた。
日曜の朝、僕は自転車を飛ばして橋脚へ向かった。たぶん。いや、絶対にあそこだ。あそこに行って何かやばいことになったんだ。ぜったい。
砂利道の途中で自転車を乗り捨て、橋脚へ走る。
おかしい。
乞食の荷物がない。あんなにあったのに。あれからまだ1週間しかたってないのに。
あきらかに何かがおかしかった。あの乞食のいた場所には荷物がまったくなく、そして、あの穴もなくなっていた。いや、新たに石を詰めて穴を埋めたというほうがしっくりくる。そんな感じだった。
僕は直感した。
この下にワタナベがいる!
僕は穴のあったはずの場所の石をとりのぞきはじめた。ワタナベ! ワタナベ! ワタナベ!
かなりの数の石をどけたが、何も出てこなかった。
いや。
そもそもそこが穴だったかどうかすら疑わしかった。
僕は自転車を押して家に帰った。
ワタナベはいなくなっていた。
あれから20年以上たった。
僕は帰郷のとき、一度だけ新幹線をつかったことがある。
もうすぐ那須塩原駅につくなと思って網棚から荷物をとると、ガクンと車体がゆれた。僕は荷物を取り落とす。
……いや、ゆれてない? 周囲の人らはなにごともなかったかのように降りる準備をしている。
そうか。
僕だけゆれたんだ。
蛇尾川に架かるあの橋脚の上で、僕だけ。
それ以来、僕は東北新幹線を使っていない。