マジックテープとベルクロが逆転した日

おれがまだこんなちんまいころ(例によって親指と人差し指ギュっとしてちんまさをアピールしながら)、ベルクロってなんかかっこわるくてマジックテープのほうがかっこいい感というのが日本国民の価値観として存在していたと思うのだけれど、今だとマジックテープのほうがかっこわるくてベルクロのほうがかっこいい感がある。
同じことはゲーム用語にも見られるとおもう。カセットとカートリッジではいつのまにかカセットのほうがかっこいいというか市民権を得てるし、隠しテクとウラ技もウラ技のほうが通りがよくなっている。そしてそんな呼び方・呼称の話なんざ本質とは関係ない、どうでもいいことであるはずなのに、なぜか心が痛むのはおれが敗北の記憶にまみれているからなのだと思う。
つまり「カセット? カートリッジのこと?」「ウラ技? 隠しテクって言ったほうがカッコよくね?」てきな啓蒙活動(啓蒙?!)を続けていたおれがいまじゃ普通に「カセット」「ウラ技」と言うようになってしまったという、まさに過去の自分を信じきれず・貫きとおせずに世界の趨勢に負けてしまったという敗北だ。
よっておれはここに宣言する。これからは昔の自分を思い出して、マジックテープ、カートリッジ、隠しテクというきらめくような言葉たちを積極的に使っていくということを! もう二度とおまえたちのことを別の名前で呼んだりしないってことを! 日はまた昇るんだってことを! ところで、ねぇキミ、今度DSのカセット貸してくんない?