プールとメガネとおれと彼女の事情の事情

昨日プールに行ってバシャバシャしながら思ったのだけど。
プールという場がもたらす必然として、どんなメガネ美少女でもメガネを外さなければならないわけだ、残念ながら。そんで、みなさんみたいなメガネ至上主義者さんたちと来たら、メガネをかけていないというだけで目の前の水着美少女らを見逃しすぎていて、逆にプール監視員のメガネ女子にばっかり目が行っている。まったくみなさんの三白眼は節穴か? そのメタフレは伊達か?


違うだろう。そうじゃないだろう。ようく考えてみようよ。プール監視員のお姉さんはメガネ女子かもしれないが、メガネ美少女ではないかもしれない。君の目は“メガネ”の“女子”という一点に囚われすぎている。だが、目の前の水着美少女はプールに入るために今現在非メガネではあるけれども、プールを出たらメガネかもしれない。そして彼女がメガネに着替えたならそれは大変なことになるかもしれない。モノゴトは可能性で論じられなければならないのだ。


例えば、目の前に非メガネ美少女水着女子が歩いていたとする。このプールは1回の利用券で2時間だ。9時OPENで、いま10時半だからあと30分したら彼女が出てくる可能性は相当高いのだと0.2秒で計算し、先にプールをあがり出口で待ってみるなりるれば、彼女ったら濡れた髪をまとめて肌もしっとりしてそして赤セルなんかかけて出てきたりする。ギャー! 1と1を足したら2とは数学者もよく言ったもんだよ。積み木の上に積み木を載せたらより高みに近づくなんて積み木仮説もあったよな。非メガネ美少女にメガネを足すと宇宙がひっくりかえるのだぜ、そして、プールの出口って所は、その無限の可能性でいっぱいの場所なのである。


という計算の元、プールサイドで水着美少女探しをしようとしたところ、あいにくプールではメガネを外さなければならないのだった。美少女どころか女子かどうかすら判別つかなかった。おれの積み木仮説はガラガラと音を立てて崩れた。


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プール過去ログ:公立温水プールで見たどうしようもない世界の美しさ。
プール過去ログ:こころのカメラ