文化系なんとかって話。

もし本当に文化系なりメガネなりってキャラ付けで人間を分類する文化があるのだとすれば、その文化に属する人らは、理解しがたい/理解が難しい世界を理解するツールとして「キャラ付け」って考え方を使っているんだろうなってことかな。ビジネスシーンでよく言われる「人は見た目で判断する」みたいな考え方(ツール)と似てるのかしら。
そんでそーゆツール越しに扱われると扱われる側は確かに不愉快なんだけど、扱う側、ツール越しに付き合いを見定める側のやり方ってコスト考えると有効なんだよねきっと。ビジネスって免罪符(?)があればそーゆーフィルタリングって、こころにひっかかるものを感じながらも、けっこうほいほいつかってそうだもの。
でも、ネットだとみんな、そーゆービジネスシーンでの出来事みたいな思考停止なことせずに、真剣に問題を考え、互いにガツガツぶつかっていく。ネットに何かを期待してるからこそ真剣なのかもしれないなって思う。なんてゆか。こういうぶつかりあいなとこはネットの素敵なところだな。
無関心に、ことなかれに、低コストにやりすごす世界より、愛がある世界ってことじゃないかな? いまあなたが立っている場所は。
なんだか愛に満ちてる。