「好き」には「嫌いであることを認めること」も必要なんじゃないかな。

ネットに限らない話かもですけど。
ちょっとばかし博愛主義者ぶったりなんかして、人にはいろんな性格や事情や偏見があるに決まっているのだから、だから彼や彼女の行動や発言がちょっとおかしいからって嫌いになんかならないで…博愛の心で接してあげて…なんてことを思ったりもするのですけれど、そうやって発揮した博愛って自分にウソをついているのだと思う。本当は彼や彼女を嫌いだっていう自分の心にウソをついてる。そしてきっとそのウソはいつか大きな歪みとなってみなさん自身をキツい目にあわせちゃうと思う。
嫌いなら嫌いであることを、あるいは愛する必要がないことを自分に認めさせるべきなんだと思うんです。自分にウソをつかないことで、自分自身もラクになるだろうし、もしかしたら彼や彼女を好きにすらなれるかもしれない。少なくとも「寛大」にはなれるだろうと思う。

そんなの本当の「好き」や「愛」じゃないって言われたら、そうかもしれない。おれにはわからない。それが「本当」じゃなくても。「嫌い」を認めることで、みなさんが自分の中のウソにキツい思いしなくてすむようになるなら、それでいいと思うのです。おれは。