HPなはなし。

「HP」に変わる概念って生まれようが無いのかなー?とか思っています。
http://d.hatena.ne.jp/koikeakira/20060316

(及びコメント欄より参考記事 http://hotwired.goo.ne.jp/news/culture/story/20060315205.html)

こちらのHP話にインスパイヤ受けましたとゆうか、批判でも同意でもなくただいろいろと連想したことをだらだらと書くます。だらぁ。
コンピュータゲームを分類する方法ってそりゃ星の数ほどあるのと思いますけれど、今週のおれがザックリ分類するに「A.コンピュータを意識させないゲーム」と「B.コンピュータを意識させるゲーム」に分かれると思うのです。ザックリすぎる。
数々のFPSやレースゲームがよりリアルに、世界への没入を妨げないように、って方向でゲームを追及するのがAのタイプだとしたら、Bは世界を分かりやすく理解させるためにあくまでコンピュータであることを意識させる。そしてなんでわざわざ世界を分かりやすくするかってゆうと、その方がゲームが面白くなると(作り手が)考えているから。
HPなんて概念を発明し格闘戦闘ってものに戦略を持ち込んだり、グリーンにグリッドを引いて芝目を読む楽しみを提供したり、ボールの弾道を表す尾を描きバナナシュートのバナナっぷりを演出したりする。ストライクゾーンを分割し、配球がログされ、打者との駆け引きを楽しむことに焦点をあてた野球ゲームにしたてたりする。
「A.コンピュータを意識させないゲーム」が世界を正しく美しく描写することに命をかけるまさにストイックさのカタマリのようなものだとすれば、「B.コンピュータを意識させるゲーム」では、世界の切り取り方(モデル化)を意図的に行い、見せたい要素を強調(デフォルメ)することも辞さない。ただそれはクリエイタが自分の考える「面白いゲーム」を実現するために必要な手段なのだと信じているから。真剣に考えた結果だから。
おれはどっちのゲームも好きだし、A,Bどっちに比重が置かれてようが面白いならそれでいい。クリエイタの真剣勝負の結果に出会えるならいくらでもゲーム屋さんに足を運びますよ?
ゲーム屋でパッケージを手にとると、どのソフトも血の匂いがする。そんな世界がいい。うそ。やっぱ血はちょっと。