文具屋さん

今日文具屋さんで新しいシャーペン物色しながら、ふと中学時代の体育教師の口癖が思い起こされまして、その口癖って何かってゆえば「文武両道」
いったんそうゆう言葉思い起こすといろいろ考えてしまうもので、じゃあ文具屋が存在するのと同程度に世の中には武具屋があってもいいし、当然店主はマッチョで上半身裸でツノかぶとであるべきだし、文系・理系って分け方もホントは文系・武系のほうがしっくりくるっつーか正直理系とかなくなればいいし、文夫の対義語もきっと武だし、実際高田文夫北野武はセットで語られるべきだし、とここまで書いてこの話もやっぱり落としどころが見当たらなくて、おれってば軽く青ざめて膝ガクガクさせながら目もウツロに、えーとえーと、とにかく話を武具屋に戻しますけど、じゃあなぜ現代に武具屋が遍在しないかといえば「道具は使い方によって武器にもなる。鉛筆1本でも人は殺せる」ってことだと思うのです。つまり文具屋は武具屋と同等、いいかえれば武具屋は常に在らずして在ったと言える。そして文具屋を武具屋に変えるのはいつでも人の心。そう、いつの時代も一番怖いのは人の心なんだ、そんなことを思った。
おれは世界の真理を見つけ出したことに軽く興奮を覚えながら、ステッドラーのシャーペンをレジに運ぶ。店主はマッチョでツノかぶとだった。