続・ここリンク

昨日うだうだっと書いた「『ここで書いたように・・・』リンクがなんとなくイヤ」話なのですけれども、今日ページ持ち(!)の子と飲む機会があって話がぶり返しました。
「つーか文章が『ここで書いたように』で始まるエントリは文章として損してるんじゃないかな?」
「なんで?」
「『ここ』のリンク先を併せて読まなきゃ文意を理解できませんって言ってるも同然つかさ。現エントリだけでは文章として完成してないってことを自分で言ってるようなもんつーか」
なるほどね。でもリソースの再利用っつー観点ではアリなんじゃない?」
「むー。じゃあそれはいいとしてもさ。『ここ』はやめてよっつか」
「どゆこと」
「リンク先URLを明記するとかしてくれっつーか。せめてドメインだけでも記載されたリンクだったらいいと思うのよ」
「オンマウスしなくても当人の過去ログリンクか外部へのリンクかがわかるからってこと?」
「そ。怪しげなリンクだったら押さないし、新聞サイトだったらスルーするとか判断できるもの。逆にはてなダイアラなのにドメイン違いのリンク先を指して『ここで書いたように・・・』って記載だったら本家サイト持ちとかライターだとかそうゆうことも推測できるしね」
「でもさ?」
「ん?」
「それって現ブラウザの制約に引きずられた見方だよね?オンマウスしないとリンク先がわからないってゆう技術制約」
「まぁ、そうだけど」
「『ここ』リンク被害の筆頭って言われるスピーチブラウザだって進化する余地はあると思うよ。音声でだって『ここ』ってリンクをうまくナビゲートする方法もあるかもしんないじゃん?」
「わかるけど、さ。ブラウザの進化待つより書き手が注意したほうがコストが低いっつか」
その後、話は平行線のまま、道具に縛られた書き方なんてダメだ、いやテキストがベースであるべきだ、いやいやワンボタンマウスだから進化したインタフェイス(文法)は認めるけれども人間ツーボタンマウスくらい扱える、道具が複雑になったらそれに沿った文法・インタフェイスがあってもいい、じゃあ指が6本あったら秘剣流れ星を開眼するとでもゆうのか、最近シグルイ読んだからってなんでもシグルイ文法で話すな、それこそ道具に寄っている、なんだと、なによ!とかなんとか話しているうちに目の前には空になった大ジョッキの山。残ったのは激しい頭痛と吐き気、失ったのは諭吉と英世。
なんつーか、イタイ飲み会でした。