「似てる」とか。

昨日薬局に貼られたニベアのA0ポスターの田波涼子さんを見たところ、なんだか田波さんが青木さやかさんに似てるよーに思えてきてしまって自己嫌悪に陥ってたのですよ。

とその時、ビカビカーっと天啓がひらめいたのですけど、この「似てる」がなぜ面白いのか、アタシわかっちゃったンですケド。「似てる」って「似てるけどまったくそっくりとゆうワケではなく、微妙に違う二人」であるからこそオモシロいンですよね?この「似てるけど微妙に違う二人」をココロの中で並べて思い浮かべると、2枚の微妙に違う写真を裸眼立体視で見るかのような効果がもたらされて、まるでソコにいるかのような臨場感がココロに深くヒビいてきてしまうのではないかしら?そのココロのヒビきをオモロとゆうチャンネルで捉え、ヒトは感銘をうけてしまうのではないかしら?

そう考えると昨今の映像界の動向にも納得がいくでしょ?デビルマンの双子キャスティング。アレは双子立体視による臨場感を用いて鑑賞者に感動を与えようとしているのではないかしら?アニメ「双恋」も2Dの絵にもかかわらず、まるで3Dのような臨場感で視聴者のココロをクギヅケにしているのではないかしら?


キミもさ。同じように考えてみなよ。


そうすればさ。



態度も化粧ノリも悪いオバちゃんに不快な気分にさせられたりとか?そんな目にあったとしても、オバちゃんらのザラザラした肌を平行法なり交差法なりで凝視して見ることで、ランダムドット・ステレオグラムみたいに立体感・臨場感を持ってキミの心に響いてくると思うんだ。不快な気分なんか吹き飛んで楽しくなってきちゃうハズ。ほら、彼女をよく見てあげてよ。楽しくなってきたでしょ?なんだか素敵な女性に見えてきたでしょ?