アンリーチャブル・ネットワーク。あるいは、書き手はアンリーチな世界でどう生きるのか。

先日の「ニコニコブックマークが絶対にやってはいけないこと」という記事への補足てきに。



ニコニコブックマークはてブコメント欄ページを(1)読者参加「場」提供型、翻訳サイト・漢字ルビサイトなど元コンテンツの読解補助するサービスを(2)コンテンツ強化型、魚拓やGoogleキャッシュなどのその時点を切り取ることで価値を創出するものを(3)時間凍結型、記事中の利用キーワードでセグメントしてRSS収集・羅列するサイトや(1)の言及数順にソートしたサイトなんかを(4)新文脈付与型、と呼ぶとして、なんやかや言ってこういったサービスは増えていると思う。
これはやっぱりアンカー・パーマリンクRSSあたりの
「コンテンツは断片化して扱ったほうがユーザ便利じゃね?」
て思想が認知されつつあって、そこに価値付与してサービス作るぜてのが流行っているってことだと思う。
その上で、
「じゃあ今後コンテンツの断片化が進んだときどう金儲けしたらいいの?」
「断片化したコンテンツへのアクセスは、そのアクセス行為そのものがユーザの嗜好を反映してね?」
「じゃあターゲット広告くらいしかなくね?」
「うーん。じゃ、とりあえず広告効果アップするように、ユーザ囲い込んでおく?」
てきな思考経路を経ているんじゃないのかしら、サービス作成者の脳内では。妄想ですけど。
いずれにせよ、それらのサービスのツクリによっては、オリジン(元記事)の作成者がアクセスを認識できないケースが多くなるのかな、と思っています。トラバもアクセス解析にも現れない形でコンテンツが消費されるとでもいうか。
冒頭の「アンリーチャブル・ネットワーク」は、そんな意味合いの造語です。魚拓やキャッシュなどの、一度手放した情報にコンテンツ作成者が「アンリーチ」になるって意味合いも含めてますけど。ちょうテキトー。
そんでじゃあ今後、世界がよりアンリーチ度を増していったとき、書き手がその世界を生きるには、あ、サバイブするには*1どうしたらいいのかをぼんやり考えてました。日がな一日。
「でどうすればいいの」
「まずページを家だと思うのをやめなさい」
「またそれ? まあいいわ。で家じゃないなら、なに?」
草薙素子風に言うならば、記事というグライダーをネットに流していると考えるべき」
「手を離れたらもうお終い、アンリーチ前提で記事れってことかしら?」
「そうね。そしてグライダーの亜種に出会ったと思っても、敵意を抱かない。あなたの流したグライダーの亜種に再会できたことは喜ぶべき類のことなのよ」
「自分の子供を切り刻まれたようなこの感情を押し殺して、愛せと?」
「家を出た子供は勝手に育つわ。それでいいじゃない」
そう割り切れれば、格段に生きやすそうですけどね。

*1:日和った。てか、サバイブて言ってみたかったんですおれも