明滅する世界/停止する世界

夜の街を歩くと、いやがおうにも光の明滅が目に入る。たしかに明滅は人の気を引くことができるわけだけれども、それはなぜかといえば周囲の光が変化しないから。周囲の光量が一定だから。変化にとぼしい周囲は「環境」として退けられる。空気量に変化がなければ空気の存在なんか忘れるし、蛇口があれば水のありがたさも忘れる。
《慣れ》によって観察対象のプライオリティを上下させるのは、生命がサバイブするための基本手段であり、であればこそ「環境」として埋没してしまった「更新のないブログ」は読まれず、街にまたたくネオンがごとき「更新頻度の高いブログ」は読まれ続ける。
今後、更新頻度競争が激化し、明滅しまたたくブログが増加しつづけていくとしたらどこかで逆転現象がおきたりはしないのだろうか? 「更新頻度が高いこと」が「環境」になり、変化のない停止したブログこそが注目される時が来はしないだろうか?
来ません。来るわけがない。あとモテたい。PV1000万億兆いきたい。