逆バリブログのことをちょっと考えていた。

逆バリブログ(?)というのが実在するとして、その言葉のニュアンスからして外部のエントリを起動条件に「後手」でスタートし、まあなんやかやで反対を表明するものなのだろうたぶん。
そういう逆バリブログが順バリブログ(?)に比べてどういう特徴があるのかを妄想するに、まずここに《広い空間》がある。空間に誰かがエントリAを投下すると、逆バリブログはエントリAに対して非Aを宣言する。Aと非Aの間にセンが引かれる。
また誰かがエントリBを投下する。逆バリは再びセンを引く。そうやって無数に引かれた「《何か》ではないことを宣言したセン」が逆バリブログの書き手の輪郭を形作るのだろう。
ここでキニナルのは、逆バリ手法で形作られた輪郭は、彼(彼女)の輪郭といってさしつかえないのか、書き手は否定と消去法で規定できるものなのか、ってことなのだけれどもちろんおれごときにその答えはわかりません。
ただ一つ言えるのは、逆バリだろうがなんだろうが書かれた記事がおもしろければそれでいいってことくらいです。だってあれだぜ? おもしろいってことは、おもしろいってことなんだぜ?