「あとのせサクサク」は志が低いのではないか。

お笑い用語ではなく、カップうどんのほうの「あとのせサクサク」について思うのだが、あれは志が低いのではないか。
カップうどんを構成する要素は、麺・つゆ・てんぷらだ。メーカーは当然すべての要素を本物のうどんに近づける・あるいは本物のうどんを越えるために日々努力していたはずである。
だがある日てんぷら部門は進化をやめたのだ。出来上がった軽いスナックを見て、これ以上本物のてんぷらに近づくことはできないと自己停止した。開発費を広告費にすりかえ、「あとのせサクサク」という価値観/ライフスタイルをユーザに刷り込むことに決めたのである。
味を追求することを捨て、もはや進化も変化もやめたカップうどんのてんぷら。「あとのせサクサク」がうどんを、うどんの未来を殺したのである。