世界がツマミひとつでチューンできればいいのに

初音ミクの人気を説明するつもりはないのだけれど、ただ初音ミクなりああいうソフトなりがすばらしいのは、いままでコントロールが不可能あるいは難しかったものがコントロールできる・チューンできるようになったことだと思う。
同じく、セカンドライフアバターデザインのコントローラブル感も楽しい。ツマミひとつでTシャツの丈をのばしたりチビTにしたり、筋肉を太くしたり細くしたり、毛髪をもっさもさにしたり中途ハンパにして頭頂部だけハゲあがったり。肉体のどの要素をコントローラブルなパラメータとし、チューン可能な対立軸をどう定めるかっていうのは製作者の職人芸に頼る部分があるかとは思うけれども、そんな苦労は利用者は気にしなくていい。
要は世界がツマミひとつでチューンできること、それがすばらしいのだ。


この「世界をチューンできること」をすばらしいと感じる気持ちが初音ミクへの期待やMAD職人への賞賛にもつながるのだろう。もちろんその気持ちの根底には、もしかしたら現実が変えられないことへの反発・世界への絶望があるのかもしれない。
あるいは世界が変えられないのなら自分をチューンしたい、未来の自分はこうありたい、という方向に気持ちが向くかもしれない。「しゅごキャラ!」が子供たちだけでなく大人のお兄さんに人気なのもそういうコトゴトの表れなのかもしれない。


いずれにせよ、世界がコントローラブル・チューナブルであることを感じさせてくれるソフトや作品がおれの心に響くのは事実なのであった。おれは初音ミクしゅごキャラ!も大好きなのだ。大好きなのである。
最後に、こんなおれの《今》にぴったりの歌があるので張ります。歌うは田中ぷにえさん。曲は「願い、明日、夢」

おれがプログラマって人種を尊敬するただ一つの理由

(いやホントは一つってことはなくたくさんあるんだけど)おれがプログラマって人種を尊敬するただ一つの理由といえば、これはもう「にわとりたまご問題」てきな現象を不可解だなんだと文句いわずに、それが効率的ならばそれを使って結果に結びつけるところと言える。
たとえばman manである。manコマンドの使い方を知るのにmanコマンドを使うなんていうことが本質的に間違っているだとかなんだとか言うのは効率的じゃない。それが必要であればそうする。
あるいは再帰関数。自分で自分を呼ぶという考えを思いついたプログラマ、そしてその効率を理解し利用しつづけるプログラマはすごい。
またあるいは(昔懐かしいけど)COREWARS。プログラム同士が、メモリ上で戦うゲーム。そこではデータもプログラムも等価*1であり、そのことはやはりにわとりたまご的な構図を思い起こさせる。
自身を複製して生存率を高める方法や、相手のプログラムを取り込むやり方、自分自身を書き換えるなんてことすらする。自分を書き換えるだなんて、フランキーかブラックジャックの自分手術か、はたまたノイラートの舟かよっていう。なんつーか、すごい。



なんだろう。
もうちょっと言うと、たとえば再帰の力というのは前向きにも後ろ向きにも使える。陳腐なロボットSF的視点で言うと、自分が自分という存在を規定するのに再帰的視点に落ち込むと無限後退して自滅する。でも、これが結果を出すために動く再帰関数ってやつは値を返すために再帰をする。ニュアンス的な言い方で失礼だけれども、前向きな再帰処理なんだな。
そしてプログラマって人種はそういう技をこともなげに使い倒す。
やっぱすごいわ。このひとたちは。

*1:というか生命も勝利条件も陣地もすべてが等価というか