人生に必要なパンチはすべて「かもめのジョナサン」に教わった。

小さなころ「かもめのジョナサン」を読んで当然のごとく感銘を受けた。もちろん例の「瞬間移動かもめ」のくだりである。
老かもめの言う瞬間移動の極意とは「自分はすでにもうそこに到達しているのだ、ということを知ること」
当時瞬間移動にはあまり興味のなかったおれはこの極意をパンチに適用できると思ったのだった。つまり最も早いパンチを実現するには、コブシを構えた状態と相手を殴った状態の2点を同時に存在させるよう訓練することなのだ。
友人たちが一生懸命かめはめ波の訓練に励む中、おれはひとりで見えないパンチのイメージトレーニングに励んだものだった。
互いにそんなのできるわけないとバカにしあいながら、それでも高みに向かって努力する姿には素直に敬意を払っていた。
そして数ヶ月がすぎ数年がたち高校受験を控えたある日、ふと気づいたのだった。もしかしたら見えないパンチは打てないんじゃないか? ジョナサンはウソつきだったんじゃないか?
レーニングに割いた時間と労苦がその真実を認めることを拒んだ。脳内で最大限の譲歩をし、見えないパンチはないかもしれないがあの極意はすべてに通じるのだと自分を納得させた。到達点をイメージすることで、そこにたどり着いたりたどり着かなかったりするかもしれないけれど人は満たされるのだ。曲解かもしれないがおれがおれでいつづけるためにはそう理解するしかなかった。
そうしておれは達成地点を想像することで満足することを覚えた。彼女ができたと妄想するだけで満足できた。リアルが充実していると思い浮かべるだけで充実できた。向かいの座席に座る女子高生と途中下車してデートした。脳内ではすべてが無限だった。


おれはジョナサンに感謝している。
ジョナサンに出会わなければ猟奇性犯罪者になっていただろうから……