縁切り寺のコンセプトにおれ感動。

最近縁切り寺のコンセプトにちょっと感動していて、なんといっても接続を絶つことを外部が保障するシステムというのが面白い。接続というものの本質をわかってるがゆえのシステムだと思う。
ようは(世の中にある)接続と切断というものを比較したとき、接続はあんがい容易だが切断は難しいってことなのだ。
縁切り寺が対象とする「人間関係」がまさにそうだし、記憶と忘却もそうだ。記憶(接続)は意外に容易だが、忘却(切断)を意識的に行うのは難しい。
いわゆるネットワークならアク禁できるし切断簡単じゃんと思ってしまいがちだけれども、そうじゃない。接続ってのはノードとリンクからなっていて自分側のノードをぶっこわしても相手側のノードは世界のどこかで残留し続けている。
接続されていたということを世界がメモリしつづけてしまう。
そしてそれは接続を絶ちたかったものにとってずっと付きまとう不安の種でもある。



そこで縁切り寺システムだ。
外部の組織が切断を保障するという仕組みはなかなか考えられている。各人・各ノードの力だけでは切断が難しいということがわかった上での仕組み・システムなんだろうと思う。そして思う。
現代に縁切り寺を復活させるにはやっぱりグーグルしかないのかなって。いつかすべての接続をグーグルが司ることになれば、かれらが切断をも支配することも可能なんだろうな。