イソップ童話「よくばりな犬」からおれたちが学んだこと。

よくばりな犬からおれたちが学ぶのは、犬が愚かしいということでも、欲張りがよくないということでもない。
器官は機能ごとに特化すべきということである。
ようは、「吠える」と「肉をつかむ」を口だけで行うからああなる……肉を取り落とすのだ。もし肉を手でつかんでいたなら犬も安心して吠えられたはずなのだ。


そしてこれは人間が言葉を発達させたことにも呼応する。
人間は二足歩行を獲得し、両手に「掴む」動作を担当させた。
口にはもっぱら「しゃべる」動作を行わせることで、言葉を発達させたのである。
だがこれで進化を終えていいのか?
人間のコミュニケーション能力をより高めるために、口には「しゃべる」動作を選任させるべきではないか?
つまり「食べる」ことや「なめる」ことから口を開放してやれば、より人間は高次のコミュ的存在になれるのではないか?



おれがそんなことを考えている様子を、近くの犬たちが見ていた。
彼らは肉をくわえたままコミュニケーションしている。
人類が口の自由と引き換えに言語の鎖に囚われてしまったのに対し、犬たちは口の不自由がゆえにコミュニケーションのための別の器官を発達させたのだった。




犬たちはテレパスだったのである。