ダグトリオブームがおれに来た! ダグトリオのこと考えると夜も眠れない!

三度の飯よりポケモンがすきなはてなダイアラーのみなさんには常識かもしれませんけど、ポケモンとの邂逅を果たしたばかりのおれにはディグダダグトリオの関係は面白がすぎるのである。
ダグトリオは見た目上、ディグダが三体集まった形をしており、またポケモン文法上ではディグダ進化の系譜のハテにダグトリオが位置する。ディグダが社会性生物(?)へと変わったことをもって《進化》と呼んでいる、という解釈はまあありっちゃありだろう。
だが「青の救助隊」ではあるディグダが特定のダグトリオのことを「パパ」と呼ぶのである。イッタイドウイウコトダ?
ついつい《進化》という言葉に囚われてディグダが先、ダグトリオが後、と思っていたのだがどうやら様子が違う。むしろ逆進化だろうか? いやいやいやいや、ポケモン文法に例外はあってはいけないはず。ちょっと考える。うむ。
これはおれの仮説になってしまうのだけれども、多分ダグトリオディグダのアッパーコンパチ的(?)なアレで、ときおり野良ディグダを見つけては、ダグトリオ内の三基のディグダと競合させるのだ。そこで野良ディグダのほうがスペックが高ければ内包ディグダとの入れ換えを行う。そのとき開放された元内包ディグダが「子供」であり、ダグトリオを「パパ」と呼ぶのである。
遺伝子的な《親子》でもなく、分裂コピーによる《増殖》でもない。あえて名付けるならば、ところてん式生命。
……そこでふと気付く。これは、それほど特筆すべき生態ではないはずなのだ。
多くの生命は内部物質の入れ換えを行いながら「自己」を保つのだから。
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関連生命本:

遠き神々の炎〈上〉 (創元SF文庫)

遠き神々の炎〈上〉 (創元SF文庫)

遠き神々の炎〈下〉 (創元SF文庫)

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