「人間なんてつまるところは糞袋」という言葉が嫌い。

正直なところ、「人間なんてつまるところは糞袋」という言葉が嫌いである。百歩ゆずって、人間が糞を格納しているというのは認めるとしても、実際には袋じゃないからだ。口と肛門が開口してる以上、袋というより管。多くの生物がそうであるように人間も管形状なので、あえていうなら「糞管」である。
だがそれでもゆるしがたいというか、そもそもこの言葉は志が低いのだ。だって「糞」て。ものを食べる以上、体内に糞が出来るという発想はこれはもう思考停止だろう。言わせてもらえば、じゃあおまえ100%吸収したんか、と。糞も出ないくらいに食べ物吸収してみたんか、と。
気合や根性やガッツや遺伝子改変による肉体改造やサイボーグ化などの変革を怠っておいて、何が「糞袋」か。糞を生産しないように、ちっとは努力してみたまえ。そんなことを、うんこの詰まった頭で考えてしまうのである。