おばちゃんの動物柄セーターは君を試している。

おばちゃんの動物柄セーターを見てまず最初に思うのはトリタマ問題、つまりあの柄を売る人がいたからおばちゃんが買うのか、ニーズがおばちゃんより寄せられたから作ったのか、だとは思う。だがその問いは本家トリタマ問題同様、永遠に答えはでない。恐らく。
であれば次におれたちが目を向けるべきは「なぜおばちゃんらは動物柄を着続けるのか?」だと思う。なぜだ? おばちゃんらは、Dの意思(動物好きの意思)を引き継ぎ生きるものなのか? 自我境界を猛獣で守る鉄壁の防御女子アイアン・メイデンなのか? 服は人なり。カエアン哲学がごとく猛獣の服こそがおばちゃんの本体なのか?
あるいはそのどれでもなく、一休さんばりに試されているのか? おれたちが?
「あなた、この服の中のトラを捕えることができて?」
「もちろんですとも」
そういって縄を用意し、構えるおれ。
「では、そのトラを追い出してください」
「あらいいの? ぼうや。 わたしのなかの猛獣を解き放っても」
「……」
もちろん、性的な意味で
「結構です」即答。