「19歳はババァ」もんだい。

制服に身をつつんだ15,6歳の美少女どもが「19歳ってババァだよねぇ」などとのたまう一方で、三十代のおれから見たときのプラス3歳の女性のストライク感ったらないので、この非対称性はいったいなんなんだろうと考えるに、どっちもウソじゃないんだと思う。美少女彼女どもの発言もおれの感情もどちらも本当なのだ。
ようは二者間の年齢差ってパラメータが両者の数値が大きくなればなるほど比率が小さくなるってことに起因するのだろう*1。15歳から見て19歳はたしかにババァなのだし、三十代のおれにとってプラス3歳は魅惑のチキルームに過ぎるというだけのことなのだ。


いや、そんな単純な数字上の比率の問題だけではないとも思う。


小二にとって小三はまさに神がごとき存在だったし、0歳から1歳への成長はいうなればまったく別の生物への飛翔・進化ですらあるし、高度に発達した90歳は93歳と見分けがつかないし、そしてこの感覚の根本原因は年齢によって時間の感じ方が違うことに関係するんじゃなかろうか。
10代の1年は50代の10年に相当するような。そもそも時間の感じ方の密度が違うのだ。
だから19歳はババァと表現されてしまうのだろう。


いつからか、人類は年をとるごとに時間をより高精細・高密度に処理する能力を手に入れた。それはおそらく、人類が死を獲得して以降、発達させた能力なのだと思う。
死への恐怖、残された時間を有益に使おうという戦略めいたものが、老いに反比例して、時間感度を高めていったのだ。
その能力は死の瞬間にもっとも効果を発揮する。
圧縮された時間のなかで圧倒的な認知力を手にする。


走馬灯現象である。

*1:イーガン先生の発言にあったよね?たしか