すべての事象をエアが表現したとき世界は変革する。

昨今のエア攻勢には目を見張るものがあって、イスがエアになり、ギターがエアになり、エッチまでエアになる始末で、なるほどエアで表現される領域は日々広がりつづけている。
また当然のことながらリテラシーの一環としてエアを読む能力も人々は取得しつつあり、さらには《無機物への伝言》とやらで、表現されたエアに圧倒的な現実感を付与することにも成功しつつある。
とこうなると、エア関係者らは最終的に何を目指すのかという疑念がおれたちの頭をよぎる。簡単だ。世界を作り出すこと。そう、彼らは新世界の神になろうとしているのだ。非エア世界に隣接するもうひとつの現実《エア世界》。エアを作る神々とエアを読み解ける選民たち。だがいつか彼らはエア現実だけで満足できなくなり、非エア界を侵略することすらあるかもしれない。
そんな彼らの野望にうち震えながら、おれはプチプチとエアパッキンを潰す毎日なのである。プチプチ。……ブチブチブチッ

ヒーローがどこの誰だか知らないけれどなのは。

ヒーローがどこの誰だか知らないけれどなのは、人々がヒーローを頼りにしてしまうことを避けるためである。助けをもとめればいつでも来てくれるんじゃないか、という弱さに人の心が流れるのを防ぐためなのである。ODAの問題にも似ている。
そしてもうひとつ。ヒーローはその無力さゆえに誰であるかを明らかにしないということもあるだろう。これはヒーロー側の逃げである。サンタクロースが一晩で世界中の子供たちにプレゼントを配れるのとは違い、ヒーローはたいてい特定地域の限られた人間しか救えない。だから民族や国籍やその他の情報を隠す必要もあるのだろう。政治力に晒されて救う命に偏りが出るのを避けるために。
などとどうでもいいことを考えながら、T. P.ぼん読んでた。主人公ぼんが、目の前で散っていくたくさんの命のなかから、ただ一つの命しか救えないことに涙するのを見て、あーあー言いながら読んでた。どうでもいい。

T・Pぼん (1) (中公文庫―コミック版 (Cふ1-5))

T・Pぼん (1) (中公文庫―コミック版 (Cふ1-5))