純情きらりボリュームアップ事件

宮崎あおいさんがはにかんで下クチビルをキュッと噛むたびに、それを見て身もだえしているおれたちではありますが、ひとつ心配なのはあの下クチビルキュッをやりすぎることで宮崎あおい神の下クチビルが腫れあがったりはしやしないのかということです。共演者の井川遥さんのぽっこりくちびるや味噌屋番頭役、徳井優さんのボリューミーヘアを見るたびにそんな心配をしています。杞憂だといいのですが。

安倍なつみさんのホクロさん

ホクロの魅力とゆうのは「発見」の魅力に他ならない。普段のシチュエーションでは絶対に見つけることのできない位置のホクロを発見したときのよろこび、これは未開の地(フロンティア)に向き合う探検家にしか味わうことのできないタイプのよろこびと同種のモノなのだ。つまり「あ! こんなところにホクロあるんだ! かわいいなぁ」という、今おれの心の中にわきあがっているこの感情はコロンブスやマゼラン、ガマらが感じたあのキモチに優るとも劣らないすばらしい感情なんだ。
と、そんなふうに思った。スイートホリックPVの中で安倍さんが垣間見せる、ひだりわきの下のホクロを見て、そんなふうに思った。

スイートホリックPV
http://www.up-front-works.jp/discography/hachama/01/s_07/

スイートホリック

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シングルV「スイートホリック」 [DVD]

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はてなとユーザの話。

ものごとが成功するにはどしたらいいんだろ?あくまでちょう印象なのですけど、なんかはてなとユーザの間がギスギスしている気がする。
はてなとユーザとの関係に当てはめるのはかなり違うかもけれど、例えばプロデューサーとモー娘。さんが作品を世に送り出そうというとき、メンバーが「頭で理解」し「心で共感」できたときはじめてすばらしい作品ができるのだと思う。商業的に成功するかどうかは別として、出来上がった作品に納得もいく。
モー娘。の超ファンがただただ超ファンのまま新メンバーとして参加したとして、プロデューサーの考えを理解せずに妄信しているだけではよい作品はできないだろうし、古参メンバーが音楽的に共感できないまま、ただビジネスとしてパフォーマンスしてもそんな建前まみれの作品は評価されないんじゃないかな?
そしていまはてな(はてな外?)を見回すと、「はてなを妄信している人たちがいる」という言い分と、「頭よくてはてなの言うことさらりと理解してるんだけど、でも共感はできないなて言ってる人らがいる」という言い分のふたつをお見かけするような印象があります。本当かどうかはわからないけれど、そういうフンイキを感じる。根拠。ないですすんません。
そんでじゃあホントにキニナルのは、今後はてなってどうなっていくんだろう?
はてながうまく回っていくこと」がはてなとユーザが共同して作り上げるひとつの作品なのだとしたら、ユーザがはてなを理解しはてなに共感できるよう、はてなからもユーザからも互いに働きかけて行く必要があるってことなのかしら? 企業とユーザの関係はそんなもんじゃないって言われると、うん確かにそんなもんじゃないかもとも思うのですけど。




追記:図ってゆうかマトリックスは私のオリジナルじゃないです。元ネタはわからないけれど昔見かけた図です。