そろそろ「時代の曲がり角」は痛烈にDISっといたほうがいい

ここ10年くらいネットで見かける言い回しに「時代の曲がり角にいる」云々というのがあるのだけれど、この「時代の曲がり角」ってなんだか調子に乗っていると思う。そろそろ痛烈にDISっといたほうがいい。
確かに「時代の曲がり角」はすごいと思う。「過去」にいたときは曲がり角の向こうにある「未来」は見えなかったけどそれが見えるわけだし、逆に「未来」に到達すると曲がってしまったあとの「過去」を正しく見ることができなくなる。曲がり角にいるときだけ「過去」も「未来」も同時に見据えることができる。ちょっとばかし「過去」や「未来」に優越感感じてしまう気持ちもわからないでもない。
だが問題は本当にそこが「時代の曲がり角」かどうかなのだ。おまえただ「過去」「未来」に優越感感じたいためだけに曲がり角のふりしてるんじゃないのか? むしろ見通しのいいゆるーいカーブなんじゃないの? 曲がり角自慢するなら曲がり角らしくせめて90度は曲がれ。なんならヘアピニれ。おまえちょっと曲がりが足りないんじゃないのか?
いずれにせよ曲がり角くん本人が自分自身の曲がりに注意するだけでなく、曲がり角の上にいると錯覚しているみなさんも「過去」や「未来」をバカにすることなく、しっかり曲がってほしいと。先生はそう思うのである。

小樽名物「ポセイ丼」に対抗する名物料理を考える。

海鮮丼の名前に海神ポセイドンの名をつけるなんてかなりのこだわりだなと思った。
これに対抗できるのは世界樹の名を冠しあらゆる山の幸を投入した「ユグドラ汁」くらいだろう。
アンティパストには猿肉を贅沢につかった饅頭「ハヌまん」、デザートには焼き菓子「アスタルト*1」などどうか。
あるいは貪欲の象徴でもあり、かつ名前からしてスイーツの王様っぽい「アマイモン(別名マモン)」でコースの締めとするのもよいかもしれない。

おれがプログラマって人種を尊敬するただ一つの理由

(いやホントは一つってことはなくたくさんあるんだけど)おれがプログラマって人種を尊敬するただ一つの理由といえば、これはもう「にわとりたまご問題」てきな現象を不可解だなんだと文句いわずに、それが効率的ならばそれを使って結果に結びつけるところと言える。
たとえばman manである。manコマンドの使い方を知るのにmanコマンドを使うなんていうことが本質的に間違っているだとかなんだとか言うのは効率的じゃない。それが必要であればそうする。
あるいは再帰関数。自分で自分を呼ぶという考えを思いついたプログラマ、そしてその効率を理解し利用しつづけるプログラマはすごい。
またあるいは(昔懐かしいけど)COREWARS。プログラム同士が、メモリ上で戦うゲーム。そこではデータもプログラムも等価*1であり、そのことはやはりにわとりたまご的な構図を思い起こさせる。
自身を複製して生存率を高める方法や、相手のプログラムを取り込むやり方、自分自身を書き換えるなんてことすらする。自分を書き換えるだなんて、フランキーかブラックジャックの自分手術か、はたまたノイラートの舟かよっていう。なんつーか、すごい。



なんだろう。
もうちょっと言うと、たとえば再帰の力というのは前向きにも後ろ向きにも使える。陳腐なロボットSF的視点で言うと、自分が自分という存在を規定するのに再帰的視点に落ち込むと無限後退して自滅する。でも、これが結果を出すために動く再帰関数ってやつは値を返すために再帰をする。ニュアンス的な言い方で失礼だけれども、前向きな再帰処理なんだな。
そしてプログラマって人種はそういう技をこともなげに使い倒す。
やっぱすごいわ。このひとたちは。

*1:というか生命も勝利条件も陣地もすべてが等価というか

世界がツマミひとつでチューンできればいいのに

初音ミクの人気を説明するつもりはないのだけれど、ただ初音ミクなりああいうソフトなりがすばらしいのは、いままでコントロールが不可能あるいは難しかったものがコントロールできる・チューンできるようになったことだと思う。
同じく、セカンドライフアバターデザインのコントローラブル感も楽しい。ツマミひとつでTシャツの丈をのばしたりチビTにしたり、筋肉を太くしたり細くしたり、毛髪をもっさもさにしたり中途ハンパにして頭頂部だけハゲあがったり。肉体のどの要素をコントローラブルなパラメータとし、チューン可能な対立軸をどう定めるかっていうのは製作者の職人芸に頼る部分があるかとは思うけれども、そんな苦労は利用者は気にしなくていい。
要は世界がツマミひとつでチューンできること、それがすばらしいのだ。


この「世界をチューンできること」をすばらしいと感じる気持ちが初音ミクへの期待やMAD職人への賞賛にもつながるのだろう。もちろんその気持ちの根底には、もしかしたら現実が変えられないことへの反発・世界への絶望があるのかもしれない。
あるいは世界が変えられないのなら自分をチューンしたい、未来の自分はこうありたい、という方向に気持ちが向くかもしれない。「しゅごキャラ!」が子供たちだけでなく大人のお兄さんに人気なのもそういうコトゴトの表れなのかもしれない。


いずれにせよ、世界がコントローラブル・チューナブルであることを感じさせてくれるソフトや作品がおれの心に響くのは事実なのであった。おれは初音ミクしゅごキャラ!も大好きなのだ。大好きなのである。
最後に、こんなおれの《今》にぴったりの歌があるので張ります。歌うは田中ぷにえさん。曲は「願い、明日、夢」

おれとチン毛とタクティクスオウガ

おれが小六だったころ、漫画やドラマの中ではチン毛生えてないなんてダッセー的価値観が蔓延していたわけだけれども、逆に現実周辺ではチン毛関係はアンタッチャブルだった。むしろ、生えてないことを誇る風潮があった。
いま考えると学年のボス的いじめっこがちびっ子で、そいつにチン毛生えるのは学年でラストだろうっていう予測みたいなものが、あのチン毛バッシングの空気を生み出していたんだと思う。
ただ当時のおれたちはそんな冷静な分析なんかできなかったから、ただただチン毛が生えるのを恐れていた。もし生えちゃったらワンピ空島編のセトが樹熱のあざを「消えろ! 消えろよ!」ってやったアレばりに、チン毛を石でこそげ落とすほどの勢いで恐怖していた。チン毛生えは小六社会から抹消されることと同義だったのだ。チン毛イコールデッドだった。おれチン毛生やすくらいなら大人になんかなりたくない。だれもが心にピーターパンを飼っていた。
そんなある日、おれにチン毛が生えた。
抜いた。抜きまくった。デ・ニーロみたいに抜きまくった。でも次から次へとどんどん生えた。チンコは伸びずに毛ばっかり伸びた。チンコが硬くならずに、毛ばっかり剛毛になった。トイレではチンコをひたかくしにした。合宿の風呂は恐怖だった。学校に行くのが恐怖だった。
だが自体は急変した。いじめっこにわき毛が生えたのだった。学年中の男子が安堵のためいきをもらす。その音が校舎中から聞こえたような気がした。なにか目に見えないつながりを70人近い男子全員が感じていた。おれたちはチン毛を生やす自由を獲得したのだと気づいたのだった。





そのときのことを思い出したのは、ちょうどファミコン版のタクティクスオウガをやっていたときのことだ。
画面内には竜を操るキャラクター、ドラゴンテイマーが足踏みしている。
その姿をじっと見入る。
あ……
「もしかして、テイマーって《剃毛する人》って意味なのかな? そうかもしらん。あー、そいやチン毛といえばあのときのことを思い出すなー」
とか、そんなノリで。

はてな村ベン図 Ver0.5

はてな村について言及している人を全員リストアップして
その中心を探したら何かわかるんじゃないか説
http://recentmemory.g.hatena.ne.jp/extramegane/20071019/1192757955

半径ワンクリックの世界ではてな村をみると、とても小さいのである。
http://d.hatena.ne.jp/fk_2000/20071016/p1

そーかー、やっぱりidのANDをとるのかーと思った。問題はどこからidリストをとるかなのだけれど、http://d.hatena.ne.jp/REV/20071003/p4に挙げられてるリストのうちとりあえず3つつかってみた。

1.はて☆に見る、はてな村 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/jt_noSke/20070918/1190103439
2.あるユーザーが見るはてな村 http://anond.hatelabo.jp/20070315120907
3.はてな"裏"人物事典  http://www25.atwiki.jp/hatenawatch/

ベン図ツールでも使ってみる

やり方はてけとーです。
1.VennMasterをDLし、インスコる。(http://www.informatik.uni-ulm.de/ni/staff/HKestler/vennm/doc.html)


2.id,カテゴリの二項目からなる、タブ区切りのテキストファイルをつくる。上述ページからidの束を抜いて、カテゴリとして上記URLをくっつけただけ。


3.VennMasterを起動し、File - OpenList でタブ区切りテキストファイルを選んでおしまい。(いろいろオプティマイズでける)


結果

ベン図の真ん中をマウスで選択するとid群のANDが見ることができるのだけど、id束を3つしかつかってないのでまあ偏っているとは思った。やり方は簡単なのであとはみなさんでプログラム組むなり、手作業するなりしたらいろんな結果が出ると思う。
ただそれによって浮かび上がってくるのは《はてな村の中心》というよりも、作業した人間の心の闇のほうじゃないか、そんなふうにも思うのである (きれいにまとめたつもり)。

補足:↑の画像の一番下に今回のANDの3名が入ってしまってますね。